JR東日本 常磐線
東京都荒川区の日暮里駅と宮城県岩沼市の岩沼駅を結ぶ343.7㎞の路線。東京と、千葉県北西部、茨城県、福島県浜通り、仙台を結ぶ幹線であり、特急「ひたち」「ときわ」が運転されている。日暮里~取手間は直流電化、取手~岩沼間は交流電化であり、取手~藤代間にデッドセクションが設けられている。起点は日暮里だが、日暮里始発の列車は無く、品川または上野を始発駅としている。北千住~取手間は千代田線に直通する常磐緩行線が運転されており、日暮里方面からの列車は主要駅にのみ停車する。明治22(1889)年1月16日、最初に開業した区間は友部(当時は未開業)~水戸間で、水戸鉄道の手によって、現在の水戸線と一体となった形で開業した。水戸鉄道線は明治25(1892)年3月1日に日本鉄道水戸線となり、友部駅から分岐する形で土浦線が明治28(1895)年11月4日に土浦まで開業した。土浦線は明治29(1896)年12月25日に土浦から田端まで延伸し、同時に田端~隅田川間の隅田川線も開業した。山手線を経由して東海道本線に抜けるルートとすべく、田端を起点としたが、後に上野駅に直通するようになると、田端でのスイッチバックが必要になったことから、明治38(1905)年12月1日に三河島~日暮里間が開業して現在のルートとなった。水戸以北については明治30(1897)年2月25日に磐城線として平まで開業し、岩沼側でも同年11月10日に中村(現:相馬)までが開業した。磐城線は明治31(1898)年8月23日の久ノ浜~小高間開業を以て全通している。日本鉄道は明治39(1906)年11月1日に国有化され、明治42(1909)年10月12日の国有鉄道線路名称制定で日暮里~岩沼間および貨物支線が常磐線と定められた。全通後は東北本線のバイパス線として機能したが、東北新幹線開業でその役割はほとんど失われた。常磐炭田で産出された石炭の輸送という使命も炭鉱の閉山で失われ、現在は都市間輸送と地域輸送がメインである。平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災および福島第一原発事故では長期に渡り不通を強いられたが、段階的に復旧し、令和2(2020)年3月14日の富岡~浪江間を最後に全線が運転を再開した。