まだ見ぬ駅を求めて 別館

「まだ見ぬ駅を求めて~逆瀬の駅めぐり旅~」の別館です。訪問した駅を載せていきます。

5101.みずほ台駅(東武鉄道 東上線)

柳瀬川                                  鶴瀬

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東口(R4-3-6)

所在地:埼玉県富士見市東みずほ台二丁目29-1

開業:昭和2(1927)年2月1日 「水谷(みずたに)信号所」

廃止:昭和13(1938)年6月1日

開業:昭和26(1951)年9月1日 「みずほ台信号所」

廃止:昭和29(1954)年6月26日

開業:昭和52(1977)年10月21日 「みずほ台(みずほだい)」

島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は橋上駅舎。東口駅ビルは昭和56(1981)年に建てられたもので、上部が集合住宅となっている。西口駅ビルは開業後まもなく建てられたものだが、駅舎とは直接繋がっておらず、昭和56(1981)年の現駅舎使用開始に際して駅舎と接続された。東武ストアなどが入居している。当地には戦前、東京市内から農村の肥料として運ばれてきた屎尿を降ろすための「水谷信号所」があったが、10年ほどで廃止されている。戦後、運行本数増加に対応すべく「みずほ台信号所」として復活したが、こちらも複線化によりわずか3年ほどで廃止され、駅として復活したのは20年以上も後のことであった。駅名については所在地名より「水子(みずこ)」とする案があったが、流産した胎児を連想させて縁起が悪いことから、響きの似た「みずほ」を採用した。「水子」の地名については、武蔵野台地の縁で水が出るところだったため「水処」とついた説と、旅の僧が娘を妊娠させなじられたので祈祷をしたところ腹の子が水となって流れて行ったという水子伝説がある。信号所開設時の所在地は入間郡水谷村で、明治22(1889)年の町村制までの村名「水子」「針ヶ谷」の合成である。昭和19(1944)年2月11日の1町3村合併で北足立郡志紀町となったが、昭和23(1948)年4月1日に解体されて再び北足立郡水谷村となった。昭和31(1956)年9月30日に入間郡鶴瀬村・南畑村と合併して入間郡富士見村となり、昭和39(1964)年4月1日に町制施行して富士見町、昭和47(1972)年4月10日に市制施行して富士見市となっている。

令和4(2022)年3月6日訪問

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