開業:大正14(1925)年7月26日 「千厩(せんまや)」
平成17(2005)年9月20日の合併で一関市となった旧・東磐井郡大東町の玄関口で、昭和30(1955)年4月1日の大東町成立前は摺沢町だった。相対式ホーム2面2線の交換可能駅で、平成12年4月改築の駅舎はコミュニティセンターや市の出張所との合築。大船渡線は当初の計画では摺沢を経由せずに門崎から千厩へ真っすぐ抜ける予定だったが、原敬率いる立憲政友会から摺沢出身の佐藤良平が大正9(1920)年の衆議院選挙で当選すると摺沢から大船渡へ抜けるルートに変更された。これによって計画ルートから外れた千厩では立憲政友会と対立する加藤高明の憲政会を頼って鉄道の誘致を行い、大正13(1924)年の衆議院選挙で憲政会が圧勝すると摺沢から千厩に抜ける現在のルートに再変更され、大正14(1925)年7月には摺沢まで、昭和2(1927)年7月には千厩まで開通した。いわゆる「我田引鉄」の有名な例で、駅前には摺沢に大船渡線を誘致した佐藤親子の胸像がある。窓口は令和4(2022)3月11日限りで営業を終了して無人化される予定。
令和4(2022)年2月13日訪問